ハプスブルク家のフィリップ美公1

マクシミリアン1世の不肖の息子だと言われることもあるフィリップ美公。

私はそんなフィリップ美公がなんだかんだ好きだ。

(プリンス・オブ・ウェールズフレデリック・ルイスも好きなのだから王になる未来があったのに早くに亡くなってしまう人にifという可能性を感じて好きなのかもしれない)

そんなフィリップ美公について、徒然に語っていきたいと思う。

 

そんなフィリップ美公だが、確かに彼は大帝と言える戦い、領土を広げる程には素晴らしい君主ではなかったのかも知れない。しかし、ブルゴーニュ公として戦争より和平を選んだという点では評価されても良いのでは無いかと思う。

 

フィリップ美公は、1478年にブルゴーニュ女公マリーと未来に神聖ローマ皇帝となるマクシミリアンとの長男として生まれた。

その後僅か4歳で母親を亡くしてブルゴーニュ公となった。

ブルゴーニュ公国唯一の跡取りかつ神聖ローマ皇帝でもあるハプスブルク家の唯一の跡取りともなれば(妹にマルグリットも居たが当時では男が跡を継ぐのが当たり前であった)、大切に、それはもう大切に育てられたものだろう。

そしてそのブルゴーニュ公国が当時のヨーロッパでも指折りの先進国であったものだから手に入らぬ物は無かっただろうし、絶世の美女と呼ばれた母譲りの美しいと言われるその顔立ちも相まってそれは可愛がられただろう。

それでいてフィリップ美公は助言者の言うことも聞く人間であった。それは幼い頃から後見人として多くの助言者が居たからということもあったのかもしれない。

 

また、フィリップ美公はフランス嫌いな父マクシミリアンとは違いフランスとの和平を求めた。

それは、度重なる戦争で疲弊しきった経済を立て直す為であり平和の為であった。

他にもイングランドとの交易路を再開させたりとブルゴーニュの人々には愛された公爵であった。

 

だからこそ、彼の父であるマクシミリアンがカトリック両王から持ちかけられ決めた対フランスを目的とした結婚は、義理の父との対立を生んだ一因になったのだろう。